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楽しんでいない人から、楽しみは生まれないはず

こんにちは。理事の才木です。

 

適材適所という言葉がありますが、性格や考え方の違い、あるいはフィーリングの違いでなじめる場所とそうでない場所があると思います。

 

傍から見ると、よくそんなことができるなぁと感心することも、他人からみれば、よっぽどこっちの方がそんなことよくできるなぁ、なんて思われていることもあります。

 

自分に適していれば、まずそこが土台になってくると思いますが、一番残酷なのは、絶対適していない場所でがんばることは非常にツライし、その人だけにしかわからない苦悩もあると思います。

 

それを、十把ひとからげのように、「普通はこうするよね」とか「常識的には、こうするものだよね」とか、

「自分たちも同じ目にあったから、アナタもがんばって当然でしょ」となると、ヘタすると鬱を発症してしまうかもしれません。

もう昔の部活状態ですよね。

 

但し、自分が成長するための修業期間であれば、それは多少踏ん張って耐性をつけながら強くなっていくしかありません。

 

そこを読み間違えると、適していないと思ったらすぐに別のところへ点々と移動するというのでは、ただ単に好き嫌いだけの反応的な感情的な行動となっていくでしょう。

 

でも、その好きか嫌いかって、実はとっても大事な事だと思います。

 

好きな事だと楽しいし、あっと言う間に時間も過ぎるくらい夢中になることもできます。

たとえば、野球の練習は厳しく苦しいし、先輩もコワイけど、野球が好きだからがんばってこれた、という経験をした人はたくさんいると思います。

 

あの時代があったから今の自分がいて、自分を強くしてくれた、という想いの方もたくさんいるはずです。

 

これから自分が考え抜いて、がんばってやる仕事なら、やはり好きで楽しいほうが続くでしょうし、踏ん張ることもできるでしょう。

 

好きな仕事ならば、ある一定のキツイ修業期間は必要だとしても、その後は「自分の場所」を創っていくことは楽しくやりがいあることだと思います。

 

しかも、好きな仕事を楽しんでやってる人は、きっと人が喜ぶような価値を創ることができるのだと思います。楽しんでいない人から、楽しいことは生まれないはず。

 

もし、あなたがそんな時期にさしかかって悩んでいたら、反応的感情的になる前にまずは、自分はこの仕事が本当に好きなの?と自問自答してみるのもいいかもしれませんね。

 

夏至も過ぎて折り返しの時、周囲の常識に惑わされないよう自分の心の声に耳を傾けてみてはどうでしょうか?