こんにちは。理事の才木です。
こんなことってありませんか?
自分の周囲を見渡して、ほぼほぼ自分と同じようなパターンで生活している人達、たとえば、会社の同僚、先輩、などを見ていると、
同じ時刻に出社して、同じ時間に昼食をとり、話題は上司の文句や仕事へのぼやき、給料の愚痴、はたまた次はどんな上司命令がでてどんな面倒くさいことさせられるんだろう、退社後は一杯飲まなきゃやってられない・・・また同僚とぼやき会が始まる・・・
見渡す限り広がる世界・・・なのに、自分を取り巻く世界はこれ、これしかない、これで決まってる・・・ほかのみんなもそうだと思ってガマンして、耐えて、耳と目を塞いで、やり続けることが自分の運命、でもいつか!・・と思ってはみても、現実はこんなものだと悟った気分で日々を過ごしている・・・
楽しそうに仕事をしている人を見ると、それは特別。自分の場合はそうはいかない・・・それは、別世界だと思い込むしかない・・・
そんな中で元気にバリバリ仕事をしている自分を作り上げていくために、自分を鼓舞して好きな趣味も我慢して企業戦士となるために、
日夜、自身と会社と闘う・・・
ちょっと長くなりましたが、こんなことってありませんか?
そんな人たちの中にいると、やはりそんな生活が当たり前になるのは、当たり前。
それが良いとか悪いでなく、本当にそれを好んでいて、大好きなことをやっている、人生謳歌して仕事もやりがいあるならば問題ないでしょうが、人生という時間は刻々と過ぎています。
有り難いことに他国のように戦時中でもなく、自由を存分にいただける時代だからこそ、自分の人生、自分を喜ばせ、家族を喜ばせ、そして他者を喜ばせることができるような方向へかじ取りをすることも、ひとつの世界だということを思ってみることもありかな?と思います。
いまの生活を疑問に思わずにただ、ただ流されているとしたら、人生はアッという間に過ぎていきます。
まるで、動く歩道に乗っているように、ただ乗ってるだけで終着点に着いてしまい最後は押し出されるように降りなきゃならない意志のない人生になりかねません。
このオートウォークと呼ばれるエスカレーターは人間用の輸送機器なわけです。なんだかブラックですね。自分の人生を輸送されないように、若い世代なら特に、大切な人生を自らの意志と足で歩いていきませんか?
できないと思えばできないし、できると思えばできるもんです。大抵のことは・・・。