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私たちが向き合っているのは「人」だから、情緒的な能力が必要なのは当たり前

 

みなさん、こんにちは。理事の才木です。

 

今日からお盆ですね。と、言っても特別にお盆を感じることもなく、普通の13日の金曜日として過ごす方も増えてきたのではないでしょうか?

 

むしろチェーンソーをもったジェイソンを思い出すような「13日の金曜日」の方がインパクトがあるかもしれませんね。

ただ、そのジェイソンも古いですから、どちらにしても時代が変われば感じ方も違ってきます。

 

家の目印として迎え火の提灯を出して、ご先祖様をお迎えし、旅の疲れをとっていただくために、おかゆや梅干しを用意して、

徐々にご馳走をだしておもてなしをする・・・そんな過ごし方は年々消えつつあるのかもしれません。

 

子どもの頃は祖母や母がすることをそばでずっと見ていたような気がします。

 

時と共に生活スタイルや習慣も考え方も変わりつつある今、目に見える物質的なもの、数値で表されるようなデータに基づく

エビデンスは信じてもらえますが、感覚的なものはどうもあいまいで個人差もあり同じ感覚でいることは難しいと思います。

 

たとえば、やる気があります!やりたいです!超やる気満々です!と何百回言っても、1回の行動にでるほうが確実に意志も

伝わってきますね。

パッションがあるつもりでも、なにも行動しなければ情熱や想いは漠然とした、ただのあこがれにしかならず、冷めれば消えて

しまいます。

 

これからのデジタル化時代は特に、情熱のような感覚的思考と論理的思考の両方を自分の中に持ち合わせた上で行動することが不可欠になってくると思います。

 

デジタル化されればされるほど必要になってくる情緒的価値、言い換えれば、私たちが向き合っているのは「人」だから必要なのは当たり前です。

 

「わび、さび」や「もののあわれ」「風情」などは数値で表すことはできませんが、ヒトの感覚やセンスで計ればわかってくるものです。

この感覚は人間形成には必要な情緒的な能力だと思います。

 

感覚やセンスを磨くことも忘れてはならないでしょう。

 

フィットネス業界も、ビジネス力や専門力は言うまでもなく、さらに情緒的な能力をもった人がどんどん社会に価値を広げていくことを願っています。スモールジムはそのためにあるような気がしています。