みなさん、こんにちは。理事の才木です。
いきなりですが、国語、算数、理科、社会、音楽、体育、図工、保健体育、道徳など・・・小学校の頃から、科目別に5段階で能力を評価する通信簿(通知表)は、否が応でも自分の得意不得意を自覚せざるを得ない、かなりプレッシャーのある相対的な評価方法でした。
最近は絶対評価といって本人の目標に対してどれだけ到達できているかどうかを先生が評価するそうです。
「よくできる」「できる」「がんばりましょう」の3段階の評価のようです。
まっ、本人にしてみれば1や2とつけられるより、「がんばりましょう」といわれるほうが、傷つきづらいかもしれませんが、
反面ピンとこないこともあるかもしれません。
また、「よくできる」といわれるのも嬉しいですが最高得点の「5」と評価されれば大きな自信にもつながるでしょう。
なぜ、いまごろこんなことを思うのかというと、仕事、経験、本、世界、人に触れるごとに「学ぶ」ことの尊さや面白さ、必要性を深く感じるからです。
だんだん周囲が見えてきて何が必要か?が見えてくると、「学ぶ」時間や機会がものすごく欲しくなるわけです。
よくリタイアされた方が「大学」に行かれることがあります。長年の仕事を終えて第二の人生を楽しみながら勉強したいという
純粋な気持ちで始められることがあるのかもしれません。
でも、今私が考える「学び」は、実践の学びのことです。
自分の人生をより良く、自分の周囲の人をより良く、社会をより良くしたいと思えば、小学校からの学びは全て環状につながっていて、どれもが人生を心身ともに豊かにしてくれる大切な基礎だということは明らかです。
それを理解させてくれるのが小学校の役目だと今更ながらに感じるわけです。
単に科目の知識を教えて成績という評価の枠に当てはめることが教育ではないと痛感するからです。
少なくとも、小学校の先生は科目すべてを教えるなら、それらは皆つながっていて、人生の中ですべてが連鎖していることを、
また密接に深く関わりあっていることを小さなうちに分かり易く教えてほしかったと少なくとも自分自身はそう思うのです。
自分の人生に夢をもつ子供たちはたくさんいます。しかし、科目の得手不得手で進学を決めたり、夢を断念したりするケースもたくさんあります。
勉強時間に膨大な量をつぎ込んだ人、あるいはほとんどつぎ込まなかった人、またたくさんの冒険やチャレンジをしてきた人、
勉強ばかりで冒険やチャレンジ、体験も少なかった人、このように子供時代にすでにここで偏ってしまい、道が決まってしまう場合が多いのだと思います。
部活ばかり、勉強ばかり、お稽古事ばかり・・・なにかに秀でるにはそれもあるのかもしれませんが、人間の厚み、人間の深さ、
人間の温かさや感性はそれらの材料をミックスさせたところから生まれるような気がします。
そのミックスされたところが土台となり、自分の人生を良くし、さらには利他のための目標を達成するためのさらなる学びに
つながるのだと感じます。まさしく土台はすべて実践に役立つことばかりです。
そして、挑戦はいつからでもできますが、早ければもっとたくさんの学びを得ることができます。
もっと、早く知っていれば、もっと早くからやっていれば、と悔やんでも時間は絶対に戻ってはきません。
仕事もプライベートも含めてみんな自分の人生なのですから、そこに「学び」の栄養をたっぷりと与えて自分自身が納得するような実や花を元気にたくましく育ててほしいと思っています。
最後は先生が生徒へ贈るような言葉になってしまいましたが、自戒もこめてそう思います。
学びingでいきましょう!